永遠の愛って存在するのか?運命の出会いって本当にあるの?映画や物語の世界ではハッピーエンドで終わるラブロマンスも、その後その愛がどこまで続いたのか、どうなっていったのかは誰にもわからない。
しかし時として、人類は純愛を貫くことがあるようだ。ここではおじいさん、おばあさんたちの愛を貫いた心温まるエピソードを見てみることにしよう。
10. 冷戦を超えて・・・11年待ち続けた愛
イリーナとウッドフォード・マクレランが結婚した時、まさかその後11年も会えなくなるとは思わなかった。1970年代初頭、ソ連の時代である。
モスクワ在住のイリーナは地元の国際研究機関で勤務中に同じ職場のアメリカ人教授のウッドフォードマクレランと恋におちた。2年後に結婚したが、なんと、その3か月後にウッドフォードのビザが切れてしまい、彼はやむなく米国に戻った。ウッドフォードはモスクワの妻を訪ねようとしたが何度も入国を拒否された。また、イリーナの出国も許可されなかった。
2人はカードや写真や電話で連絡を取り合いながら11年もの間、結婚記念日を別々に過ごしたのだ。11年後、ついにイリーナは米国での居住権を得た。1986年の1月、彼女はワシントン州バルチモアの国際空港で11年ぶりに夫の胸に飛び込んだ。彼女はのちに、この長く辛い経験を本にしたためた。
9. 60年の歳月を経て、再び結ばれた2人
アンナ・カズロフとボリス・アジウーが結婚して3日後、ボリスは赤軍兵士として出兵し、彼女は彼の帰りを待っていた。ところが、その間にスターリンが政権をとり、粛清が始まった。アンナは家族と共にシベリア送りにされてしまったのだ。
あまりに突然すぎてアンナはボリスに一筆書き残す時間すら与えられなかった。出征から無事に戻ってきたボリスはアンナを探し回った。しかしアンナは故郷を訪れることを禁じられていたので2人の間の接点は完全に途絶えた。アンナは極度に憔悴し、自殺未遂をするほどだった。見かねたアンナの母は、写真も、手紙も、ボリスとアンナの結婚に関係するものはは全て燃やしてしまった。そして、ついに、アンナは諦めて再婚した。同じように、ボリスも再婚したのであった。
月日が流れ、彼らはお互いの伴侶を失った。そして、ボリスとアンナがお互いの一生の伴侶として誓い合った日から60年後に、奇跡が訪れた。アンナはこれが最後と、故郷の町を訪問したのだ。そしてそこで一人の老人を見かける。それはボリスだった。ボリスはたまたま両親の墓地の使用料を払いに来ていたのだった。彼はアンナに気付いて駆け寄ってきた。2人は再婚して幸せに暮らしている。
8. 物語の世界は現実に存在した。認知症の妻を思う夫の愛
「きみに読む物語」は、認知症となってしまった妻に、夫が2人の出会いから現在に至るまでを読み聞かせる感動的な小説で映画化された。原作の小説はフィクションなのだが、実際に同じようなことがリアルに存在していたのだ。
英国人のジャックは子供の頃から日記をつけるのが習慣だった。1941年の10月4日にフィリスに会った時のことも日記に書かれている。「素晴らしい夜だった。とてもすてきな女の子とダンスした。また会えたらいいな。」 その16か月後、2人は結婚し、ケントに住み続けて50年以上が経った。しかし、1990年代に入り、フィリスは認知症を患う。残念なことに容体は悪化し、ジャック一人では介護できなくなったため、彼女は施設に入ることとなった。
ジャックは毎日施設を訪れた。そして自分の日記を彼女に読み上げる。写真も見せて、彼女に家族やペットのことを思い出してもらう。おかげでフィリスは自分がどれぐらいジャックのことを愛しているかを忘れていないし、ジャックが訪ねるととても喜ぶ。2人は今年で結婚70周年を迎えた。
7. ファース・キスから75年。ついに結婚できたカップル
小学校三年生の時、キャロル・ハリスは眠れる森の美女の役で、ジョージ・レインズは王子様の役だった。ジョージは台本通り、キャロルにキスをしたが、これがジョージにとってのファースト・キスだった。高校を卒業するとジョージはカナダに引っ越し、そこで結婚し、家庭を設けた。
61年後、彼は妻を失い、昔の思い出の町を訪ねようと決意した。そこで偶然にもキャロルと出会った。2人が心を寄せ合うのに時間はかからなった。恋に落ちたジョージは、キャロルにカナダのレストランでプロポーズした。キャロルは「私はついに白馬の王子様を見つけたの」とのちのインタビューで語ったという。彼らはファーストキスの75年後に結婚したのだ。
6. 新郎100歳、30年越しの恋を成就させる
1983年、友人達はフォレスト・ランズウェイとローズ・ポラードをパーティに誘った。2人が仲良くできればいいな、と思ったのである。フォレストは2度も妻を亡くしている。ローズは夫を長くつらい闘病の末亡くしており、彼女は二度と再婚するつもりはなかった。彼女が欲しかったのは再婚相手ではなく仲間だった。
2人は64キロ離れたところに住んでいたが、お互い会うための努力は惜しまなかった。それは長い長い求婚だった。20年の間、フォレストはローズを迎えに行ってデートをし、その同じ日にちゃんとローズを自宅に送り届けた。2003年、ついにフォレストはローズのところに引っ越してきた。そしてとうとう、彼はローズにプロポーズした。
ローズは真に受けなかった。なぜならこの時、フォレストは90歳、ローズも80歳だったからだ。そこでローズは「あなたが100歳になったら結婚してあげるわよ」と言った。しかしフォレストは本気だった。フォレストの100歳の誕生日が近づくと、ローズも覚悟を決め、ついに彼と結婚することにした。
フォレストの100歳の誕生日、2人は地域のセンターで結婚式をあげた。近所のすてきなホテルが、2人のハネムーンのためにオーシャン・ビューのすてきな部屋を無料で提供してくれた。2人の結婚はオバマ大統領夫妻を含む世界中から祝福された。
5. アメリカで一番長い結婚。82年間添い遂げている2人
アンは17歳のシリアの移民の子。ジョンは21歳。彼らの家は近かった。2人はコネチカットの高校で仲良くなり、恋に落ちたが、アンの両親はこれを快く思わなかった。父親はアンを20歳年上の男と結婚させようとしていた。お互いを諦めたくなくてニューヨークに逃げた時、アンの父親は激怒したが、家族が「若いうちの恋愛なんて長持ちしない」といってなだめた。
ところがこの愛はとんでもなく長く続いた。二人は1932年に駆け落ちし、それから先の劇的な世界の変化を見つめ、2013年の11月24日、彼らは81回目の結婚記念日を迎えた。2人はは5人の子と、14人の孫、16人のひ孫がいる。102歳のジョンと98歳のアンはアメリカで一番長く結婚している夫婦である。
4. 亡き妻に捧げつづける愛情をつづった「失恋の歌」
フレッド・ストーボは死んだ妻のことが忘れられない。ロレーンと結婚したのは1940年。それからの結婚生活はいつも幸福で素晴らしいものだった。2人の間には3人の子供と4人の孫がいる。73年間の結婚生活のあと、ロレーンが亡くなった。
フレッドは今96歳、妻を失った衝撃からなんとか立ち直ろうと頑張っている。彼女が亡くなって1か月後、偶然歌の作詞コンテストが目に留まった。本人いわく、「音痴だし、音楽はからきしダメ」だが、応募してみようと思い立った。そしてできたのは、妻に対する愛がたっぷり詰まった、聴くものの心をわしづかみにするようなすばらしく美しい歌詞だった。
彼に「愛しのロレーヌ」の歌詞に手紙を添えて送った。それを読んだグリーン・シュー・スタジオは大変感銘を受け、この歌を世に送り出すことに決めた。そして「フレッドからの手紙」というショート・フィルムを作ってフレッドの話を世界に紹介したのである。
3. 出会いから61年、やっと結婚できた二人
ジョン・メースが最初にリチャード・ドールに会った時、心臓がドキドキした。彼らはジュリアード音楽院で1950年代に出会い、恋に落ちた。ジョンには過去に結婚歴があり、ポールという子供がいた。そこでリチャードは、ポールを育てるのを手伝った。
1983年に自動車事故でポールが亡くなった時、悲しみの中でお互い助け合った。長年、彼らはお互い愛し合っていることを隠してきた。国中が同性愛を嫌悪する中で、彼らは一緒に居続けた。そして2011年、ついにニューヨーク州で同性結婚が認められ、彼らはお互いの関係を公にすることにした。出会いから61年後の2011年の6月、ジョン84歳、リチャード91歳は静かに式を挙げた。
2. 生まれた日も死ぬ日も一緒だった二人
レス・ブラウン・ジュニアと彼の妻ヘレンは2人とも1918年の12月31日に生まれた。高校で出会った時、彼らはすぐに恋に落ちた。レスの家は裕福だったが、ヘレンの家が労働者階級だったので、お互いの両親は2人の仲を認めなかった。
しかし彼らは高校を卒業すると18歳で駆け落ちした。南カリフォルニアに住み、家族を養った。彼らは毎日一緒にいて、90歳代になってもアクティブに健康に過ごしていた。だが、ヘレンは胃ガンになり、レスはパーキンソン病にかかった。75年の結婚生活ののち、ヘレンは2013年7月16日に亡くなり、追いかけるようにしてレスは翌日亡くなった。
1. 海を超えた愛
デビッド・ハードは1907年にジャマイカからニューヨークに移り住んだ。生きて行くためにあらゆる仕事をしたが、心を慰めるためペンパルを探し、カリブの女性に手紙を書き始めた。その女性、アヴリル・カトーに最初の手紙が届いたのが1913年10月。
その後1年にわたってデビッドはこの写真も見たことのない謎の女性にゾッコンになった。彼の恋は手紙を書くごとに高まって行った。ついにデビッドは手紙に香水をしみこませて愛の告白とともに送った。一度も会ったことがないのにだ。
どきどきしながら返事をまっていると、アヴリルからOKの返事が。アヴリルの家族はこれを祝福した。彼らが初めて会ったのは1914年8月の結婚式当日。アヴリルと結婚式をあげるためデビッドがジャマイカを訪れたその日だった。
2人は一目見て燃え上がった。翌日、アヴリルはデビッドと一緒にアメリカに旅立った。2人はニューヨーク市に家を構え、6人の子供を成した。アヴリルは1962年に亡くなり、デビッドは誰とも再婚せず最期まで彼女を愛し続け、1971年に亡くなった。
via:listverse.・原文翻訳:LK
一夫一妻制は社会が決めた制度であるが、そんな制度に支えられなくても人は純愛を貫くことがあるようだ。その愛情を支えているのは、相手に対する揺らぎない信頼と揺らがない信念に他ならない。運命的な出会いがしたい、純愛がしたいのなら、相手のすべてを許容し、信じることが必要なんだね。
とは言え人は多種多様。広くたくさんの人を愛したい人もいれば、人間以外しか愛せない人だっているわけで、様々な愛があってこそ、地球は回っていくっていうまとめ方とかでいいかな?
▼あわせて読みたい
愛ってなんだろう?愛に関しての興味深い20の豆知識
愛のある場所がわからなくなってしまった時に見る動画「少女とポニー」
動物たちに学ぶ恋人を獲得するための7つのステップ
地球上の最悪の場所から心温まる10のストーリー
コメント
1. 匿名処理班
事実は小説よりも奇なり
2. 匿名処理班
いい話ばっかりだね。
3. 匿名処理班
末永く、お幸せに。
4. 匿名処理班
何かジーンと来るいい話ばかりだ
1日でも長く幸せが続くことを祈るよ
5. 匿名処理班
幸せのおすそ分けありがとう
6. 匿名処理班
純愛は男性がその気にならなければいけない
7. 匿名処理班
素敵な関係だらけだ
8. 匿名処理班
どのカップルも素敵で泣くしかなかった
何十年も経ってからようやく…というような話を見ていると、自分の歳をさて置いて若い相手をとっかえひっかえしてる人や、顔や収入で切り捨てる人が本当に浅はかに見える
年老いた時にどうあるか…考えてしまうな
9. 匿名処理班
自家発電した後に読むと何故か非常に申し訳ない気持ちになる
10. 匿名処理班
いいね、共白髪。
なんの特別なストーリーも持たないうちの祖父母だけど
犬の散歩で手繋いで歩いてるの見て悶えた
11. 匿名処理班
いいですね、そんな人生。
うらやましいな。
12. 匿名処理班
いい話ではあるけれど、単なる超長期交際と晩婚でとくに数々の障害は乗り越えてない人たちも混ざってるような
13. 匿名処理班
>生まれた日も死ぬ日も一緒だった二人
なーんか運命的な物を感じるわ
14. 匿名処理班
4の話は去年見た、『アンコール』って映画とかぶるんだけど、あれはベースにこの実話があったのかな。
15. 匿名処理班
あんまり関係ないんだけど、ボスニアであった悲恋の実話、ボスコとアドミラを思い出したな
内戦が続くボスニアで対立する民族の男女が愛しあい、命がけの駆け落ちを決行したものの、橋の上でふたりとも狙撃されて死んでしまうというとても悲しい実話
運命的な出会いを経て深く愛しあったからといって幸せになれるとは限らないんだねぇ
16. 匿名処理班
パルモもがんばれ
17. 匿名処理班
おじいちゃんおばあちゃんになっても恋ができるって素敵だな
18. 炎蹄
収入が、ルックスが、性格が良ければ愛情を抱けるし結婚も出来ると思われがちだが実際はそうじゃないんだ。「あなた元に帰りたい」と思えるからこそなのだ。